ロシア文学者・原久一郎

Leica M4 / Summicron 5cm f2 (Tri-X400)
コラム

来年、開港150周年の新潟港。

日米修好通商条約に基づく開港5港として、

函館・横浜・神戸・長崎と共に世界へ開かれた。

 

明治中期、

新潟に生まれたロシア文学者・原久一郎も世界に目を向けた一人だった。

けんか好きの野球少年だった新発田中学時代、

恩師から薦められたトルストイの大著『復活』を読み、

人生が変わった。

 

50歳の時、原は日本で初めてトルストイ全集の個人訳を完成させる。

原稿用紙で32,000枚に及ぶ労作業の中、

インドのガンジーから励ましの書簡が届いたことも。

日本におけるロシア文学翻訳の一時代を築いた。

 

原が訳したトルストイの言葉に

「すべての人の畢生(ひっせい)事業は、

時事刻々よりよき人になる事である」

『人生の道』(岩波書店)

と。

人間の内面における変革こそ最も難しく、

最も重要であるという文豪の晩年の叫びだ。

 

一人の踏み出す挑戦の一歩には、

世界を変える力がある。

トルストイは同書でこうも言う。

「もしも諸君がただ今善事をなし得るならば、

絶対にそれを延期してはならない」